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<小倉城天守閣>
小倉城は1602年(慶長7年)、細川忠興公によって造られました。現存するものは、1959年(昭和34年)に再建されたものとなります。
撮影:仲谷先生
2023年6月

<勤務医通信 第1回 2023/7>

「趣味でも回すPDCA」

生長会府中病院 腎・血液浄化研究センター  

センター長 仲谷達也

 先日或る研究会で群馬大学の鈴木和浩教授とお話する機会を得た。先生は私が城好きであった事を覚えていてくださった。城談議や先生の趣味の話に花が咲き、嬉しくて私は少し悦に入った。群馬腎疾患研究会の席で高崎城や前橋城に関して鈴木先生とお話したのは2009年春のことと、その翌日に確認できた。14年も前のことを鮮明に語られる鈴木先生の記憶力には改めて驚かされた。

 私に限ったことではないと願うが、年を重ねるにつれ現実と空想の境が曖昧になる。行った城の記憶に自信が持てなくなり、教授に就任した翌年から記録を残すようになった。今でも続けているが、それによると大学を辞した2020年春までの16年間で全国47都道府県すべてを網羅し178の城に行った。明治維新前の「武鑑」、これは江戸時代の大名名簿と思ってもらえれば良い本だが、これに記載の有る城、もしくは日本城郭協会監修の学研「日本百名城公式ガイドブック」を参考にして行先を選んでいた。因みに100名城は残すところあと一つ、根室半島のチャシ跡群だけである。5年前に往復航空券も周辺3泊のホテルも抑え、いざ出発という直前に同行する家族が病気になり登城を断念した。それ以来、私にとって験が悪いような気がしてここは再チャレンジしないと心に決めている。律令時代以降日本にはのべ3万の城があったようで、行く城には事欠かない。

 現在の病院に赴任してからは、有難いことにオン・オフがハッキリし、休みの日には気分的にも格段に出かけやすくなった。周りから当てにされていないだけかもしれないが、それと気付かないうちは私も幸せでいられる。令和4年には北は栃木県の黒羽城(芭蕉が奥の細道訪問地の中で最長の14日間も逗留した風光明媚な城で、私が行った時はたまたま空堀一面の紫陽花が満開)から鹿児島の出水城(肥薩おれんじ鉄道の駅員さんに65歳以上と看破され、お得なフリー切符を勧めていただき有難く活用)まで126の初回登城と51の2回目以降登城の計177の城に行くことができた。大学勤務中には16年かかった件数を1年で達成できたが、このペースは今年に入っても続いている。

 城に行く楽しみの一つが計画立案で、基本的には山城には冬に行く。寒い時期には草木も枯れ歩きやすくなり、害虫(蚊やダニ、山ヒル他)がでるリスクも低く、本丸(基本的に山頂部)からの眺望も利くからである。交通手段は公共交通を第一選択としている。山奥の城など電車や路線バスでは不便なところも多いが、カーナビ任せのマイカー利用では達成感が低く、素面での登城は時として不満要因となる。また、路線バスや鉄道乗り継ぎの検索を進めるのは、時の経つのも忘れる楽しい作業である。どの城に行くかは、「日本の名城地図帳」(電波社発行)や「お城の地図帳」(辰巳出版発行)などのハンドブックをもっぱら利用している。小学校低学年の頃から地図帳が愛読書であった。前述したように2回目以降の登城も結構ある。明治初頭に多くの城が廃城となった。 この時に実に多くの建造物(多くが城門)が城下か近在の寺社に移築された。門は解体しやすく、城門は堅牢で重用されたからである。私は数年前まで、この点を調べる術に乏しく情報不足から城跡には行っても、近隣の移築遺構をスルーしていた。ところが、約2年前、日本造園学会発行のランドスケープ研究オンライン論文集61巻5号、1998年459-463頁の「近世城郭建築遺構の社寺への移築について」という論文を偶然入手した。その中の表には、社寺に移築された全国の城郭遺構の移築の時期・入手方法・根拠・文化財指定一覧がびっしりと明記されており、この論文に出会ってからは、趣味が城巡りから寺社巡りに変わったのかと思うほど通った。これが2回目登城の内訳である。その中には掛川城大手三の門を移築した静岡県の油山寺山門のように、国重要文化財指定の豪壮な重層櫓門もあり、寺に居てもお城の息吹を充分感じることができた。ただし、このお寺も山奥でお寺のHPでも車以外のアクセス方法は記載がなく、何とか調べて前泊の上でJRと地元コミュニティバスを乗り継ぎお参りをさせていただいたので感動も一入であった。

 城に行く前日の夜には服装やカバン等の装備を揃えるが、遠足前の小学生を想像していただければ分かりやすいと思われる。当日の朝、起床で目覚まし時計のお世話になったことはなく、必ず予定時刻よりも早く目が覚める。家を出るのは、夜明けと共で家内は布団の中で寝ている。地下鉄で大阪駅か新大阪駅を目指すが、予定より1~2本早いのに乗ることが多い。気のせいかもしれないが、特にJR車内では、車掌さんの乗換案内は聞き取りづらいように思う。したがって乗り継ぎに関しては、出発ホーム情報も予め下調べを試みて臨んでいる。現地では、目的場所まで4km未満は歩くことを原則としている。iPhoneヘルスチェックに万歩計機能の備わっていることを知って以来、歩くことを厭わなくなった。因みに令和4年の1日平均の歩数は8,405歩、上がった階数は18階である。 駅から4km以上はレンタサイクル、路線バスか自治体運営のコミュニティバス、タクシーの順で交通手段を選んで城を目指す。レンタサイクルを使うようになったのは令和4年5月からで、片道10km前後を走ることが多く、この間のルートを頭に入れておく必要がある。Googleストリートビューは有用で、曲がり角の確認や走りやすい道を選ぶのに役立っている。私の情報取集能力も徐々に向上しているように思える。好きこそものの上手なれということか。また、バスの時刻表は要注意で、会社ごとの表記法の違いが大きいうえに改定頻度が高く、また急な欠便にも遭遇する。奈良の柳生の里ではバスが来ず、常連の方が会社に連絡してくださった結果、ドライバー事情で急遽の1本欠便と判明した。おかげでバス停向かいの十兵衛茶屋で一杯頂くこととなったが、これも旅の余興で良い思い出となった。現地でのお昼ごはんに関しては、私は地方の名物にはあまり興味が湧かない方で、地元民御用達のお店を選ぶことが多い。例えば市役所玄関向かいに大衆食堂などがあれば意気揚々と暖簾をくぐる。市役所職員の方々がお昼を食べている横で飲むビールは格別である。彦根市役所向かいの某食堂にはお昼時分に入ってすっかり気に入り、帰路に就く前にもお邪魔をした。

 これまで全国450か所以上の城に行ったが、これくらいの数になると整備が不十分でどこからが城域か判然としない所も結構ある。このような場合、登城口を予め確認しておくことは重要で、これを怠って現地に行ってしまうと、城の外周をぐるっと回る羽目になり、体力と時間のロスに繋がる。城は元来の機能上、アプローチしにくい構造に作られており、町中の城でさえ、なかなか辿り着けないことがよくある。私の経験では岩手の花巻城が、その最たる城である。また、山城では下るときが要注意である。登りは標識もあり、基本的に上を目指せば本丸に着けるが、帰りに迷うことが多い。主な原因は二つある。まず、曲輪(城の中の平坦地)に辿り着くと私は嬉しさで気がはやり登ってきたルートの記憶に気がいかず、出る際に入ってきた虎口と違う所から出てしまうのである。次に分岐点で下山路を間違ってしまうことも原因と考えられる。こんなことがあっても、帰りのバスや電車に間に合わなかった経験は皆無である。 私は性格上、かなり余裕をもって計画を立てる。したがって間に合わないのとは逆で、いつもバス停や駅近辺に早めに着いて予定の便を待つこととなる。しかし、これは問題で、この間の暇つぶしの多くは“飲み食い”に費やされ、城に行った翌日は体重が増えている。早めに着いて待つ習性は一生治らないような気がする。それと泊りがけでの城巡りではホテルの朝のカレーの香りは、やけくそのスイッチがオンになり、体重増加のもう一つの元凶となる。昼ご飯では滅多にカレーを食べたいとは思わないのに、ホテル朝食でのカレーには何故か魅入られる。

 大学を辞めて間のないころは、行先を決めたら天候に関わらず出かけ、山で雨に降られたり、麓で断念したことも少なからずあった。この頃は出発の数日前から天気予報と睨めっこをしている。日帰り可能圏内の行く先候補地が北陸・東海・山陰・山陽・四国・九州の各地に十分準備できており、一人気ままな城巡りなので悪天候が予想されれば目的地は自由に変更できる。また、大学に居た頃は学会合間の登城が多く、スーツに革靴で山城に行ったこともあった。今はトレッキングシューズを愛用し、比高100m以上を登る日は足首をサポートするハイカット登山靴で出かける。最近も岐阜城や鎌刃城(滋賀県)で滑落などでの死亡例が報道され、低山でも油断は禁物である。道に迷わぬよう、登城路での合流点は来た路の景色を目に焼き付けるかシャメに納め、曲輪の入り口でも同じように帰路を明確にするよう心掛けている。服装は黄色を原則的に愛用している。この色はスズメバチが嫌うようで、黒色は厳禁のようだ。 また“クマ出没注意”の看板を目にする機会も多い。害獣対策では、トレッキングポールの接地音やradikoをオンにして、人がいることを相手向かって情報発信している。タヌキやカモシカ(美濃金山城)には遭遇したが、クマ・イノシシに出会ったことは幸いにもない。

 これまで、私の趣味について気ままに書いてきたが、城巡りで私は計画・行動・評価・改善のPDCAサイクルを無意識のうちに回していたことに気づいた。 大学在職中は医療安全管理部を10年間兼務した。安全とKAIZENの密接な関連は広く知られ、毎年院内KAIZEN活動の審査や全国大会にも出かけていたのでPDCAサイクルが染みついていたのかとも思ったが、意外と私たちは気付かないうちに身近なことでこのサイクル、もしくはそれに近いものを回しているように感じる。

 私たち勤務医の重要業務の一つである外来診療でも無意識にPDCA回している仲間が多いのではないか。私も3時間の診察(Do)をするのに、それと同じかそれ以上の予習(Plan)をするし、終了後の復習(Check)で不備に気づき改善(Action)することもよく経験する。手術など他の場面でも同じような手順で業務に携わっていることがあるように思える。そのことに気づき意識して自発的にPDCAを取り入れると、効率・安全性向上を期待できるような気がする。
日頃の生活でも、家事や家族との外食・買い物等にこれを導入できるかもしれない。家庭内での人間関係や生活の質の向上につながる可能性もあるが、少し怖い気もするので家でのPDCAサイクルは将来の課題としておく。

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